「敗戦と苦況」  -ヘルベルト・フォン・カラヤンのお話 その10-

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前回は順風満帆のカラヤンの指揮者としての人生は1940年の再婚の頃から急に雲行きがおかしくなり、演奏会から遠ざかり、レコーディングへとその活躍の場を移していったことをお話しました。

1945年、第二次世界大戦におけるドイツの敗戦という事態を受けてヨーロッパ各地で、連合軍の指示にもとづく施策が実施されます。

その結果、1945年の1年間、カラヤンはドイツ、オーストリアでの活動が一時的に禁止されました。戦後のカラヤンの苦境の時代の始まりでした。

明けた1946年1月12日と13日の2日間、カラヤンはウィーンで、戦後初の演奏会を行います。演目はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を率いてのブラームスの交響曲第1番その他でした。

カラヤンは1957年に、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を率いて、来日公演を果たしますが、その折りにもブラームスの交響曲第一番を演奏しており、彼が当時の苦況の最中に出会ったこの楽曲はカラヤンにとって、終生愛して止まない一曲となりました。