「親日家」  -ヘルベルト・フォン・カラヤンのお話 その13-

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またカラヤンは親日家でも知られ、忙しいヨーロッパでの音楽活動を縫って、1954年には単身来日、NHK交響楽団で指揮、1957年には手兵のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を率いて再来日。初の日本公演を敢行しました。

日本公演は当時、事実上、東京における唯一のコンサート・ホールであった日比谷公会堂で

行われ、ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』より「前奏曲と愛の死」、ブラームスの交響曲第1番などが演奏され、客席から感動のあまりの声にもならぬ、すすり泣きが会場を覆ったと伝えられています。

思えば、日本とドイツは第二次大戦をともに戦い、ともに敗れ、両国民が皆等しくその傷心の中で日々を懸命に生き抜いている最中でした。

カラヤンにとって日本人への思いは人一倍だったのかも知れません。

通算で11回の来日がそのことを物語っているように思えてなりません。