「スカラ座との密月」  -ヘルベルト・フォン・カラヤンのお話 その15-

カラヤンはその後も様々な一流オーケストラとともにイタリア・オペラの名作のレコーディングを毎年のように続けます。 1960年12月にミラノ・スカラ座で『フィデリオ』を指揮。この公演でイタリア政府から授勲を受けました。 19 

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「イタリア・オペラの復権」  -ヘルベルト・フォン・カラヤンのお話 その14-

カラヤンはまた、長年振るわなかったイタリア・オペラとその魅力を彼のタクト1本で世に知らしめました。 1950年代はカラヤンにとってドイツ、オーストリアのみにとどまらず、イタリアのミラノ・スカラ座での主要指揮者としての時代 

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「親日家」  -ヘルベルト・フォン・カラヤンのお話 その13-

  またカラヤンは親日家でも知られ、忙しいヨーロッパでの音楽活動を縫って、1954年には単身来日、NHK交響楽団で指揮、1957年には手兵のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を率いて再来日。初の日本公演を敢行し 

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「オペラの人」 -ヘルベルト・フォン・カラヤンのお話 その12-

またカラヤンは戦後、復活したワーグナーのオペラ作品の上演を目的とするバイロイト音楽祭の主要指揮者となりますが、音楽祭の主催者、ヴィラント・ワーグナーと演出面で対立。 その後、バイロイト音楽祭に参加することは二度とありませ 

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「レコーディングの人」  -ヘルベルト・フォン・カラヤンのお話 その11-

  第2次大戦後、連合軍の指示による1年間の演奏停止を余儀なくされ、翌1946年にウィーン・フィルとの演奏会の復活にやっとこぎつけたカラヤンでしたが、またしても邪魔が入ります。 カラヤンは戦時中に実はナチス党員 

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「敗戦と苦況」  -ヘルベルト・フォン・カラヤンのお話 その10-

  前回は順風満帆のカラヤンの指揮者としての人生は1940年の再婚の頃から急に雲行きがおかしくなり、演奏会から遠ざかり、レコーディングへとその活躍の場を移していったことをお話しました。 1945年、第二次世界大 

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「転機」  -ヘルベルト・フォン・カラヤンのお話 その9-

「転機」  -ヘルベルト・フォン・カラヤンのお話 その9-   そして1940年の4月にはベルリン・フィルと『悲愴』(シューベルト作)で初録音することとなります。 同年には2人目の妻アニタ・ギューターマンと結婚 

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「奇跡の人、カラヤン」  -ヘルベルト・フォン・カラヤンのお話 その8-

カラヤンの快進撃はまだまだ続きます。 1938年10月には今度はベルリン国立劇場で『トリスタンとイゾルデ』(ワーグナー作)を指揮します。 この頃には音楽ファンの間でカラヤンを知らぬ者はなく、彼は「奇跡の人、カラヤン」と呼 

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ベルリン・フィルとの出会い  -ヘルベルト・フォン・カラヤンのお話 その7-

翌1937年、今度はドイツの名指揮者ブルーノ・ワルターの招きに応じる形で『トリスタとイゾルデ』(ワーグナー作)でウィーン国立歌劇場に客演を果たします。 この演奏は当時の人々から絶賛を博しました。 そして、1938年4月世 

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ドイツで最も若い音楽総監督  -ヘルベルト・フォン・カラヤンのお話 その6-

カラヤンがウィーン・フィルハーモニー管弦楽団をはじめて指揮したのが1934年8月、翌月の9月にははやくも試験採用中のアーヘン市立劇場でオペラ『フィデリオ』(ベートーベン作)でデビューしています。 その後もアーヘン市立劇場 

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