名指揮者   **ブルーノ・ワルター**

指揮者、ブルーノ・ワルターの3回目です。

1901~1913年にかけ、芸術監督マーラーの下、いよいよウィーン宮廷歌劇場楽長を務めるまでになりますが、マーラーがそうであったように

ブルーノ・ワルターも反ユダヤ運動に巻き込まれることになります。

 

1907年にマーラーがウィーン宮廷歌劇場・芸術監督を退任・渡米。その後同歌劇場に残ったものの、新しい芸術監督との折り合いが悪く、

結局、契約延長を行ってはいたものの、退任することとなります。

 

ブルーノ・ワルターはウィーン宮廷歌劇場を退任後も、ヨーロッパの名だたるオーケストラを歴任することで

当代きっての人気指揮者へと成長していきました。

 

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ウィーン宮廷歌劇場・楽長についで就任したのは、ミュンヘン宮廷歌劇場(バイエルン国立歌劇場)音楽監督で

その後もベルリン市立歌劇場(ベルリン・ドイツ・オペラ)音楽監督、ニューヨーク・フィル客演指揮、コベントガーデン王立劇場首席指揮者、

ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団楽長などを率い、かつ数々の欧米のオーケストラやザルツブルク音楽祭に招かれる程になりました。