「スカラ座との密月」  -ヘルベルト・フォン・カラヤンのお話 その15-

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カラヤンはその後も様々な一流オーケストラとともにイタリア・オペラの名作のレコーディングを毎年のように続けます。

1960年12月にミラノ・スカラ座で『フィデリオ』を指揮。この公演でイタリア政府から授勲を受けました。

1963年1月にはミレッラ・フレーニをプリマ・ドンナに迎えての『ラ・ポエーム』(プッチーニ作)をスカラ座で上演、大成功を収めます。11月にはウィーン国立歌劇場でスカラ座による「ラ・ポエーム」を予定していましたが、イタリア人スタッフに対して国立歌劇場労働組合からのクレームで、初日の幕が上がらないというハプニングが起こりました。

しかしこの時の公演はドイツ・グラムフォンによってライブ録音され、今ではカラヤン&スカラ座の輝かしい業績として記憶されています。

1964年にドイツ・グラムフォンとの専属録音契約を発表、5月にはウィーン国立歌劇場の音楽監督を辞任。「カラヤンのウィーン離れ」として非難をあびました。

1964年12月17日の『椿姫』(ヴェルディ作)の公演で、これまで順調であったカラヤンとミラノ・スカラ座の間でふってわいたような事件が起こります。

それが人に言う「カラスの呪い」事件です。