ハイドンとの出会い  -モーツァルトのお話 11 -

 

仕事の順調すぎる増加はモーツァルトの生活を一変させました。

アロイジオの妹にあたるコンスタンツェ・ヴェーバーとの結婚に始まり、生活は華美を極めます。二人の浪費は父・レオポルトにとって、許し難いものでしたが、ある人物との出会いがモーツァルトに対する父親の評価を一変させることになります。

 

それは当代隋一の作曲家と誰しもが認めるハイドンからの息子・ウォルフガング・モーツァルトに対するこんな賛辞でした。

 

「誠実な人間として神に誓って申し上げますが、ご子息は私が直接、間接に知っている人々の中で、最も偉大な作曲家です。私の作品など、いずれもご子息のそれの前ではかすんでしまうでしょう」

 

ハイドンとモーツァルトは1784年、とある演奏会で出会いました。

2人の間には当時20才以上の年齢差がありましたが、ハイドンはこの時代に生きる人間の

中で、唯一、モーツァルトの作曲能力が神がかっていることを認めており、モーツァルトもまた、ハイドンの堅固にして、優れた作曲技法を尊敬し、その影響を受けていました。

 

1785年、父・レオポルトの見守る中、モーツァルトの弦楽四重奏曲のお披露目の演奏会が開かれますが、なんと2基のバイオリンを担当するのはモーツァルトとハイドン!!

そして、先程のモーツァルトに対するハイドンの賛辞は演奏直後にハイドン自ら父・レオポルトに語られたものでした。

 

自らが今日まで行ってきた息子に対する様々な働きかけが正しかったことを知って、父・レオポルトの息子・ウォルフガングに対する愛情と信頼、誇らしさはいかばかりだったでしょう。

 

こうしてモーツァルトは当代隋一の作曲家としてウィーンはおろか、ヨーロッパ中に、その名を知らしめるようになりました。

因にこの折、モーツァルトからハイドンに献呈された弦楽四重奏曲集が有名な「ハイドン・セット」でした。

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