キャリア・アップの時代  **ブルーノ・ワルター**

指揮者、ブルーノ・ワルターの2回目です。

 

1896年には、師であり友であるマーラーの推薦でブレスラウ市立歌劇場楽長となります。

 

ブルーノ・ワルターは元々、ブルーノ・シュレジンガーでしたが、当地でシュレジンガー姓が多かったことも手伝って、ブルーノ・ヴァルターという芸名を使用しはじめますが、後に本名とし、渡米に際し、更にブルーノ・ワルターと英語読みに改めました。

 

ブルーノ・ワルターはマーラーがそうであったように劇場おかかえの指揮者としてデビューし、より高名な劇場へと移りながらキャリア・アップを図る中で、実力と名声を兼ね備えた存在となっていきました。

 

1897~98年には、ワーグナーが在任していたことでも有名なプレスブルク市立劇場楽長となり、1900~1901年にはベルリン国立歌劇場(プロイセン王立歌劇場)楽長となります。

230045395

これもマーラーに請われてのものでした。同僚となる楽長の一人にリヒャルト・シュトラウスが在籍していたことからも、彼に対する期待の程がうかがわれます。