晩秋

音楽家、グスタフ・マーラーの9回目です。

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1907年12月には長年住み慣れたウィーンを離れ、請れてアメリカのメトロポリタン歌劇場指揮者として渡米します。

この時期に「交響曲第8番」が完成します。

1908年には一旦ウィーンへ戻り、大作「大地の歌」を完成。9月には再び渡米。

ウィーン時代と変わらぬ精力的音楽活動を続けました。

しかしながら、新天地アメリカでの生活は重度の心疾患と持病であった慢性扁桃炎を抱えてのもので、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場からニューヨーク・フィルの音楽監督へと、華々しい活躍とは裏腹に精神的にも肉体的にも苦しい毎日であったに違いありません。

アメリカでの音楽活動の中で力尽きて倒れたマーラーはそれでも、死出の旅路に想い出の地ウィーンを選び、50歳の波乱に富んだ生涯に幕を閉じました。

一見、最後まで栄光に包まれた華やかな人生のようですが、その実大いなる苦しみと一瞬の喜びが相なかばした劇的な人生でした。