ザルツブルクの2人の「神童」 -ヘルベルト・フォン・カラヤンのお話 その2-

ヘルベルト・フォン・カラヤンは1908年にオーストリア・ザルツブルクで生まれました。

ザルツブルクはモーツァルトの生誕地であることは先述しました。

こんなこともあってカラヤンにとってモーツァルトは常に身近に感ずる大作曲家だったのではないかと思われます。

カラヤンは外科医の父親・エルンストと、母・マルタとの間に次男として生まれました。

「フォン」という言い方は、貴族の出身者をあらわしますし、実際カラヤンの家系は騎士の一族でした。

3歳からピアノの習い事を始めると、めきめきと腕を上げ、わずか4歳半で公開演奏を行うまでになりました。

当時、彼もまた「ピアノの『神童』」と呼ばれました。こんなところにも何やらモーツァルトを彷彿させるものを感じてしまいます。

そして1915年、彼が7歳の時にモーツァルテウム音楽院に入学しました。

少年期を音楽の学びの中で過ごします。1926年、彼が18歳の時、ウィーン工科大学に進学しますが、すぐに中退。ウィーン音楽アカデミーに入学。

当初ピアノを専攻しますが、指導にあたったホフマンの勧めで、指揮科へと進みます。

このように、カラヤンが18歳という若さにもかかわらず、一気呵成に音楽の高みへと突き進んだ背景に、少年期の10年間片時も音楽と離れることのなかった、まさに、音楽の申し子であったことがうかがえます。

images (37)