ウィルム市立歌劇場時代   -ヘルベルト・フォン・カラヤンのお話 その3-

1929年1月、彼が21歳の時、モーツァルテウム交響楽団を指揮して、指揮者としての公式デビューを果たします。

そのわずか2ヶ月後の1929年の3月にはウィルム市立歌劇場・第一指揮者として、いよいよプロ指揮者の仲間入りを果たします。

同歌劇場及びウィルム市が小都市とはいえ、プロとなった第一歩から第一指揮者と認められたところにヘルベルト・フォン・カラヤンの音楽家としての非凡さを強くうかがわせます。

そして、そのオペラ・デビューとなった演目がモーツァルトの『フィガロの結婚』であったことも何やら因縁めいています。

さてウィルム市立歌劇場のオペラ指揮者としてスタートしたカラヤンでしたが、小劇場故に、指揮者以外のオペラのあらゆる分野、例えば大道具、小道具に至るまでのすべてを手掛けざるを得ず、このプロセスの中でオペラの基礎と指揮者としての基礎が短期間に築かれることになりました。

そして、1933年、ウィルム市立劇場・第一指揮者としてデビューしたわずか4年後にしてかのザルツブルグ音楽祭への初出演を果たします。

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