カラヤンはまた、長年振るわなかったイタリア・オペラとその魅力を彼のタクト1本で世に知らしめました。
1950年代はカラヤンにとってドイツ、オーストリアのみにとどまらず、イタリアのミラノ・スカラ座での主要指揮者としての時代でもありました。
カラヤンは1948年12月に『フィガロの結婚』でミラノ・スカラ座を指揮したのを皮切りに同劇場のドイツ・オペラ部門総監督に任命されました。
1954年1月にはドニゼッティの『ランメルムーアのルチア』を、マリア・カラスを主役に上演。大成功を収めます。
1955年8月には同じくマリア・カラスをプリマ・ドンナに迎えプッチーニの『蝶々夫人』をスカラ座でレコーディング、9月には場所をベルリン市立歌劇場に移して、ミラノ・スカラ座との提携による『ランメルムーアのルチア』を上演、記録的な大成功を収めます。
絶えて久しかったイタリア・オペラの復興にカラヤンはその持てる力を存分に発揮しました。