時間切れ  - モーツァルトのお話 3 -

第1回目のモーツァルトのお話でも述べましたが、ヨーロッパ中の王候貴族から「神童」の名を欲しいままにしたモーツァルトといえども、音楽家として生き残れるとは言い切れない時代でした。

 

18歳には、もはや、プロの音楽家としての将来設計が完成してなければなりません。

「神童」の賞味期限が切れる前に、なんとしても大口のスポンサーを獲得しなければなりませんでした。

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18世紀後半のヨーロッパにおいて、プロの音楽家として生きていくためには、国王や大司教などの庇護を受ける以外の道は考えられなかったのです。

 

こうしてモーツァルト父子による3度のイタリア楽旅が実行されました。

父・レオポルトには実は当初から目算があったのです。

 

1762年にモーツァルト父子によるヨーロッパの主だった宮廷での御前演奏旅行があったのですが、この際、オーストリアのマリア・テレジア女帝から少年モーツァルトは、殊の外の寵愛を受けていました。

 

そこで父・レオポルトはマリア・テレジア女帝の2人の息子が国王とし君臨するイタリアの王国でのおかかえ音楽家としての仕官を願っていたのです。