母の死  - モーツァルトのお話 8 -

1778年3月14日 モーツァルト母子はパリに向けて出発します。

期待をもって出かけたパリでした。

そして、パリで知人となった宮廷ホルン奏者の推挙でパリの郊外にあるヴェルサイユ宮殿の宮廷オルガニストの地位を得られる絶好のチャンスに恵まれたにもかかわらず、都市生活にあこがれるモーツァルトの意思により、あっさりと却下され、何のことはない、あいかわらずの「無職」の音楽家として暮らすこととなります。

 

長旅の疲れと息子の将来に対する心配は、母・アンナの健康をむしばみ続けていましたが、このモーツァルト自身の将来に対する浅はかな判断はよほど応えたようです。

パリで57歳の人生を終えることとなりました。

父・レオポルトはこの知らせを受け、もはや、息子の仕官の旅がどんな益をも生まないことを遅ればせながら悟り、モーツァルトにザルツブルクへ帰還するように伝えました。

幸いにして大司教コロレドから再雇用の許しを得たからでした。

 

モーツァルトにとって全く不愉快で不本意な結末でしたが、万策つきた結果でもありましたから、受け入れざるを得ないザルツブルクへの旅となります。

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